小澤先生逝く

秋田県ラグビー協会長の小澤先生が享年92歳でこの世を去った。覚悟はしていたが、辛い。
今月の5日心臓肥大から来る心不全で亡くなった。ご家族から最後は苦しまず、老衰の状態だったとうかがった。ホッとした。


9日に家族葬を行った。


小澤先生との思い出は常に笑いがあった。晩年、先生を元気つけようと二人で下浜のビキニ女性の集まる海に家に行った事がある。二人で麦わら帽子を買い夕日と美女を眺めながら冷たいビールで乾杯した。そこに◯◯先輩が川反から桶に小澤先生の大好きな寿司をぎゅうぎゅう詰めにし、運んできてくれたのだ。


3人で食べた時の小澤先生の笑顔が忘れられない。


また、第一次の焼酎ブームの時に、今はメジャーになったが当時まぼろしの焼酎(吉四六)と人気のあった二階堂酒造の先代の社長と3人で川反で飲んだ思い出も懐かしい。


過去に僕のブログに小澤先生の事を書いたが皆さんから先生のあの素敵な笑顔を思い出して頂く事で、僕の追悼としたい。




2008-03-29
小澤雄象先生

何故か秋田県ラグビー協会元会長、小澤先生の事を書きたくなった。

先生は今山王整形に入院している。入院してから3年になる。腰痛が原因だ。
スポーツが好きで、人間が好きで、女性が好きで???(昔は多分)、めちゃくちゃ面倒見が良くて、毎晩秋田の飲食街、川反で若い連中を連れだって豪遊し、夜の市長とまで言われた。

政界、経済界、スポーツ界などに多くの人脈を持っていた。

20年程前、名称を忘れたが「小澤雄象先生を励ます会」なるパーティーが開かれた。
記憶が正しければだが、当時の知事や市長も出席し、当時の先生にふさわしい政界、経済界、スポーツ界の重鎮達が集った大パーティーであった。

先生の面倒見た人は計り知れない程いる。現在、各界で活躍されている。

今、週1〜2回病院を訪問する。いつもベッドに足をチョコンと組んで横になっている。可愛いお爺ちゃんである。帰るとき、いつも先生の筋力の無くなった“ふくらはぎ”を触ってくるのが二人の決まった挨拶である。

ある時、友人数人で先生の誕生日パーティーを開いた。

“先生いくつになりましたか?”という質問に“わがらね”という答え、、、
更に“何年生まれ”という質問に“いくいく”と答えてきた。1919年生まれの事らしい。こんなおしゃまな可愛い大物爺ちゃんなのです。

先生は寿司が大好きだ。今は高齢のせいで歯が悪く固いものは食べれない。(元歯科医) うなぎ、ほたて、まぐろ、とろ、など柔らかくなければダメ。

週一回持って行くようにしているのだが、忙しくて夕方(食事時)に行かれない事が多い。

このブログを見た方でこれから先生にお見舞いに行かれる方は出来れば夕方、寿司をお土産に持って行って下さい。サバなどの光り物は嫌いです。

写真は秋田国体にこられた旧友の森元首相とのツーショットです。

後ろにいらっしゃるのは日本ラグビー協会副会長, 真下昇

右後ろは秋田県ラグビー協会会長、三浦氏

関東協会副会長、貴島氏と

国体中、病院を抜け出し、大好物のオムレツを二人で食べに行った。うまそう!




2008-04-22
花見

ある先輩から電話が入った。“花見”“花見”、“花見”さ行がねばダメだ!突然言い放った。
俺が何でこの先輩と花見しなければならないのか?と思った。
二人で桜の下を歩いている姿は想像しただけで気持ち悪くなる。
時間の無駄使い以外の何ものでもない。勿論断った。

先輩は“俺とじゃねえよ”“小澤先生を花見さ連れで行げ”と言った。

それはそうだ、、、。88歳の先生には来年の花見が出来る保証は無い。(失礼)

そう思った瞬間、小澤先生の入院先にハンドルを切った。そして外出許可をもらい新屋の桜並木を二人でゆっくりとドライブした。

電話してきた先輩、いつも提案はするのだが自分ではやりたがらない、、、。
しかし、先生と料理屋で飲む時の会計はこの先輩持ちが定番だ。
電話をもらった時、先輩は横手にいた。リモコンで後輩の俺を操作しているのだ。
後輩でありながら俺は、先輩のリモコン操作をいつも非難する。
そうするとこの先輩、“ワリ、ワリ飲み代は俺が払うから”となる。

湾岸戦争で金を出して人的リスクを背負わないで批判されたある国ようだ。

それはそれとして、小澤先生にとっては久々の外出だった。
先生が昔、毎夜飲み明かした川反、大町、通り町、有楽町、山王を思い出巡りした。
そこにこの先輩から電話が入った。“◯◯で刺身で酒飲みながら待ってれ!”と、、、。
この先輩は口は悪いが心根の優しい人である。俺は仕事があるのでノーサイドに戻った。
俺が帰った後、◯田先輩(秋田名産品販売代表取締役)も参加し、楽しい時を過ごしたようだ。

夜の9時、病院の看護婦さんから携帯に小澤先生の捜索願が入った。誘拐される心配は無い。誘拐した方が被害者になるのに、、、。






元気な小澤先生(元秋田県ラグビー協会会長)
2010-12-26
イブの昼、小澤先生にクリスマスの挨拶をしに、イチゴの入ったケーキを持って山盛苑に向かった。
久々に先生との面会だ!
ちょうど、昼ご飯の時間だった。僕が先生と声をかけたが解らない。白内障がすすんでいるのかもしれない。
お痩せになっていたが、食欲があった。
僕の目の前で昼ご飯を食べ切った。
ラグビー仲間の話をすると『んだが、んだが』と首を縦に振りながら笑ってくれる。
先生は91歳になる。
皆さ〜ん、小澤先生、元気だったで〜す!




2009-05-06
小澤先生の退院祝い

小澤先生が山王整形外科に4年前の5月7日に入院した。
この度退院する事になった。偶然にも4年前と同じ5月7日に退院する事となった。

丸4年だった。

湊医院長始め看護婦さん達関係者とはまるで家族のようなものだった。

今回、縁があって太平の山盛苑にお世話になる事となった。

『退院前に一杯やりたい』と言い出した。

病院にちょくちょく見舞いに来てくれているメンバーを集めた。

5月5日の子供の日、先生とは親子程の差のある還暦を過ぎた元ラガーの不良中年達が集まった。

先生の幼なじみの山崎さんも参加してくれた。秋田中学時代の同級生である。

最初は『花鳥風月』で会食をした。


相変わらず先生は食がある。我々と同じペースで料理を平らげた。

今日の先生は艶艶していて若い!

この集まりをかなり楽しみにしていたのだ!

そして、2次会にカラオケに行こうという事になった。

腰の悪い先生をタクシーに乗せようやく有楽町の『パイン通り』にたどり着いた。

先生は重い。腰のベルトを脇から抱えながら歩くのがコツだ!後ろから見ているとスクラムを組んでいるようだ!

腰痛と痛風の先輩達が支えている。


先生が歌い始めた。

テレビに映る歌詞が見えないと言う。

某先輩が歌詞を読みながら先生に伝える。微笑ましく暖かい。

先生も嬉しそうだ!

この光景が涙を誘う!

『先生長生きしてけれや!ただ俺がだよりも後だばだめだや!』などの野次が飛ぶ。



(小澤先生の幼なじみの山崎さん90才。声量が凄い)



病院に電話して外出時間を延長、、、。
そして10時頃病院へ送った。看護婦さんにバトンタッチ。


明日、山盛苑に引越をする。

僕は2号店の開店日のため引越の手伝いが出来ない。

落ち着いたら先生の大好きなカステラでも持って行こうと思っている。

先生、落ち着いたら外出許可もらってまた一杯やるよ!





2009-07-21
久々の小澤先生



新国道を走っていたら吉野やが見えた。うなぎの日を思い出した。忘れるとこだった。
小澤先生の昼の食事に、、、ギリギリ間に合うか?
太平の山盛苑にハンドルを切った。


ノースアジア大学の前を通り、山盛苑に着いた。
『先生、昼食べだすか?』
白内障なので僕の事が確認出来ないでいる。
『先生、俺、俺』『うなぎ弁当持って来たがら』


先生、、、ニコっと笑って『んだが、、、。』先生はうなぎが大好きなのだ。
1時間程談笑して来た。先生は言いたい事が一杯あるのだ、、、。
施設の事、昔の思い出話など、、、。
帰りにいつもの筋肉の無くなって来ている可愛いふくらはぎにタッチして帰って来る。


この写真を撮りに先生の部屋に戻ったら、美味しそうにうなぎ弁当を食べていてくれた。

先生、ご無沙汰していてゴメンナサイ!





2009-10-30
八橋に来れなかった小澤先生

先月山盛苑に入っている小澤先生に訪ねた時に今日の決勝戦を一緒に見る約束をした。
そして、晩酌をし、秋田のホテルに泊まって行くと楽しみにしていたのだが腎盂炎で日赤に入院となった。
その連絡が入り、早速日赤に訪ねたが点滴をしていた。心持ち痩せていた。
話しかけてもあまり元気が無い。
腎盂炎がちょっとショックだったのかもしれない。あんなに楽しみにしていたのに、、、、。

帰り際にいつも筋肉の無くなった足をさすってさよならをする。
笑顔を見ないで帰る訳に行かない。
『先生、笑顔は?先生、笑顔は?』と言ったらニコッと笑って『ありがとう!ありがとう!』と返事が返って来た。
試合が終わったら報告に行きま〜〜〜す。