6年前の3学年同期会(秋田)

笑いに笑った3日間

当時、新聞紙上で形容されていた野武士法政が秋田に集結した。
この3学年は関東大学リーグ戦は3年間無敗だった。


今回は急遽に決まったのだ。東京の佐藤鉄三郎氏から内藤徳男氏に電話が入ったらしい。


その夜に我家でスケジュールを立て、案内を翌日郵送した。大学の公式戦の空いた日と紅葉の時期を考えるとこの3日間しか無かったのだ。


数日後、『何だ!この案内は?』との電話が数人から入った。


タイトルは湯けむり紅葉ツアー

差出人の印鑑は(株)アイキャン


中に印刷されている発送人は勝手に作った秋田観光(株)


そして中に一緒に入れたのが内藤先輩が顧問をしている工藤病院のパンフレットだった


見た方も突然に届いた案内に困惑したかもしれない。何の案内なんだろう? と。支離滅裂な案内状だった


それほど、急な決定だった。



そして作った二人は極端にアバウトな正確なのだ。



二人がそれから手分けし、宿泊の手配、バスの手配、そして秋田に来るメンバーの到着時間チェック、帰りの時間チェック、送迎のチェック、部屋割りのチェックを行った。自己主張の激しいメンバーの対処は大変だ。しかも僕は不運にも学年が一番下だ。


そして当日を迎えた。



飛行機で来られた人は『こまち温泉』に入ってもらった。

最初に到着したのが京都の井口くんだった。気持ち良さそうに温泉のサウナで週刊誌を読んでいた。前日の酒を抜いていたんだろう?風呂から上がったところに名古屋の塩野くんが着いた。3人で乾杯し昼食を済まし、我家のお袋の家に挨拶に行った。


学生時代に我家に泊まった思い出話に終始した。妹の明子がお茶を入れに待っていてくれた。


お袋(86歳)は余程嬉しかったのだろう!眼に涙を浮かべてた。そして帰る時に窓からず〜と手を振っていた。



こまち温泉に帰ったら札幌から久野先輩が着いたのだ。そして佐伯、佐々木、大西、熊谷、高橋先輩が到着したのだ。そこに秋田在住の中央大学OBの藤原先輩にも参加して頂き宴会が始まった。40年振りの再会の人もいる。再会の挨拶はハグハグから始まる。




そして新幹線グループが到着、花鳥風月に移動!

新幹線でかなり呑んで来たらしい。特に中村OB会幹事長が眼が座っていた。隣のOB会長の逹ちゃんがしっかりしているから大丈夫!




40年振りの内藤、佐伯、両先輩。佐伯さんは福岡からやってきて下さった。今回のメンバーで一番高い交通費をかけてきてくれたのだ!



手前から黒井先輩、久野先輩、昔監督が合宿所にくると僕が飲み屋に探しに行った。門限が大嫌いなお二人だった。いつも一緒に門限破りをしていた二反田さんと森田さんが来られなかったのが残念!




今回は急遽秋工の後援会幹事長の藤田氏に我々と一緒に同行を願った。正直、内藤先輩も僕も温泉はあまり得意の分野ではなかったのだ。藤田氏のお陰で100点満点の湯けむり紅葉ツアーとなった。


今回参加した同期の4人
左から井口、渡辺(私)、塩野、岡本
40年前、23名が入学して来たが残ったのが7名だった。深夜に起こる脱走劇、、、。優秀なメンバーこそが居なくなる。

井口曰く『アイツ等が居たら俺達、試合に出れなかったと違う?』
元ジャパンの井口の言葉だが優秀な選手達が確かに居なくなった。
人数が少なくなってからの仕事量は大変だった。
布団の上げ下げ、掃除、食当、ボール磨き、グランド整備、ジャージ洗濯、薬品、監督係、思い出すだけで目眩がしてくる。
今回、それぞれの事情で来れなかった森清美ちゃん、吉田茂、中路剛がいない。中路は天国から来ていたかも?





(左から渡辺、中村、内藤の若い3人)



翌日、田沢湖に直接やってきた佐藤鉄三郎主将、田沢湖駅で随分長い時間待たせてしまった。
真相は内藤先輩の先導で抱返りの紅葉を見る為に15分程歩こうと決め、皆で歩いたが中々止まらない。結局1時間程歩き最終地点の滝まで行ったのだ。半数は途中でUターンし、駐車場に戻ったのだが、超好奇心の強い内藤先輩の足が止まらなかったのだ。
駐車場の武村元監督から何度も電話が入った。『鉄が駅で怒ってるぞ、早くしろ!』

そんな事が気になる内藤先輩ではないのだ!自分が見たかったらしい、、、。


バスに乗ってから『いいか!渡辺がバスの案内を間違って渋滞に巻き込まれたって言うんだぞ!』と相変わらず罪をかぶるのは後輩の俺だ!



確かに鉄さん、不機嫌だった。なだめ役も俺の役目だ!昔っから、、、。(笑)





(勝又、佐藤鉄、中村等)

OB会長の鈴木達朗氏。学生時代、四谷の家にお邪魔し、飯を食い過ぎ、秀丸先生に『お前はもう来なくていい!』と言われた事もあった。
鈴木家にはお世話なりっぱなしだ!今だに、、、。




ビールと絶景でご機嫌が良くなった鉄さん。
熱しやすく冷めやすい!(笑)


『鉄は熱いうちに冷ませ!』という、ことわざもある???

この同期会の最上級生のキャプテンだ!
存在感は相変わらずだ!


鶴の湯温泉に全員無事についた。
早速混浴風呂に全員で入った。円陣の形で湯に肩まで浸かっていた。
その時、僕の前に居た全員の頭は動かずに眼が一斉に右から左に移動した。振り向いたら、僕の後ろを女性が左から右に移動していたのだ。(笑)
この眼の移動は現役男の証明だった。まだまだいける!!


このメンバーに秋田のOB那波さん、三好さん、広瀬さん、安っさん、谷がいないのが寂しい。天国から参加してくれてると思う。




鶴の湯、紅葉ツアーから秋田市の華の湯に着いた。そして懇親会が始まった。鈴木逹OB会長の挨拶に始まり、母校の復活と日本一を祈念し乾杯した。



そして予約していた2次会会場へ移動した。俺は水割りを作ったり、ジュースを準備したり、副幹事として、忙しい。
学生時代の食当を思い出した。


こんなに俺が忙しい思いをしているのに、幹事長の内藤先輩がいない。

探したら、ラーメン屋で味噌ラーメンを美味しそうに食べていたのだ!こういう時でも後輩は我慢しなくてはならないのだ。不満そうな顔をしてはいけないのだ。想定内だ!と自分に言い聞かせた!
そんな事はどうでもいい!



井口くんや岡本八ちゃんが得意の喉を披露した。
やはり、井口の『銭形平次』に勝る歌は無い。



八ちゃんの眼で訴えながら歌う姿は40年変わらない。



左から黒井、勝又、武村、久野、藤原の諸先輩。



宿泊先の温泉で内藤先生の美人の教え子と遭遇した。家族と一緒に来ていたのだ。恩師の『一緒に行こう』の命令に断れずに水割り作りを手伝ってくれた。大いに助かった!
秋田中央のOBの高橋敏、熊谷俊両先輩も大喜びだった。俺たち国体優勝したんだぞ!と45年前の自慢話を彼女にしていた。年を重ねて自慢話が少なくなってくると過去を語りたがる悪い癖がある。

彼女、生まれてないかも?

酔っぱらいの付き合いを無理にさせてゴメンナサイ!感謝、感謝、、、。



待ちに待った久野先輩の♪知床旅情♪学生時代良く皆で歌ったものだ。今回は久野先輩と約束した送迎が出来なかった。
また、学生時代に寝る前に歌った子守唄を歌って上げる事が出来なかった。男鹿観光に皆でバスで出発の時に一人寂しくバス停に立っていた姿は不憫だった。
久野せんぱ〜〜〜い、深く深くお詫び致します。



スクラムが強かった黒井先輩とナンバーワンのスピードプレーヤ勝又先輩。勝又先輩の食欲は今だに健在だった。



左、、勝亦先輩の歌うビートルズは絶品だった。
ロングキッカーの大西先輩、職人プレーヤー熊谷先輩、俊足フランカー中村幹事長、俊足ウイング鈴木達朗会長、個性派集団が歌いまくった。




翌日、半数が男鹿観光に向かった。
10人乗りのバスを借り、内藤徳男氏の運転で向かった。
運転とガイドを兼ねている内藤先輩、よそ見しながら運転に皆からブーイングが起きた。特に男鹿の門前当たりの紅葉や海岸線の説明に後ろから『真っすぐ見ろ!』との声が連呼した。




突然、宿泊した『華の湯』から僕と同室だった先輩の携帯に電話が入った。『部屋の鍵を持ち帰ってないでしょうか?』『部屋の鍵が刺さっているべきところにボールペンが刺さってました』

その先輩(名前は伏せる)は『絶対俺じゃない!』と言い切った。車の中の雰囲気はまるで僕が犯人のような空気になった。後ろから、横から『何やってんだよ!』と避難の声が鳴り響いた。そう言われると僕も自信がなくなった。僕も泥酔状態だったからだ。


こんな時は強気に出た方が勝ちなのだが下級生は辛いのだ!


男鹿から帰り『華の湯』同室だった先輩と行った。
外にいた僕に電話がカウンターに先に行った先輩から電話が入った。『お前、風呂のロッカーに忘れてたってよ!』と自信ありげに言い切った。


まてよ、、、その夜は忙しく僕だけ風呂に入っていなかったのだ。
犯人は判明した。自信ありげに言い切った先輩(名前は伏せる)だった。


先輩の罪は後輩が被るのが法政ラグビーの基本で鉄則だ。


『悪いな〜〜〜』の一言で終わった。


夕方、新幹線を見送った。
楽しい、楽しい、3日間だった。



写真追加しました。








二反田さんが元気になってます。
奥様にお願いし送って頂きました。
来年の同期会は元気な顔を見れそうです。

2009年の同期会はこちら
http://d.hatena.ne.jp/ican21/20091118/1258541587