秋工OB安田亮組が集まった。


我が息子の店に秋工平成2年と3年の卒業OBの有志が来店してくれた。自宅で休んでいた僕にも電話が入った。
早速、皆の元気な顔を見にお邪魔した。僕が40歳ぐらいだったと思う。まだグランドで監督のお手伝いをしていた頃だ。


試合の思い出やキツい練習の思い出が蘇る。



(平成2年度のメンバー)



(平成3年度のメンバー、ボケててゴメンナサイ!)



そこに高校、大学の後輩の秋山公二も来ていた。
彼は秋工、法政、東芝府中と現役生活を送り、6度の日本一を経験している。僕も会うのも10年振りぐらいだ。

彼は東芝を退職し、自然を求め家族を連れて種子島に移住したのだ。
今、種子島でお灸の治療院を開いているそうだ。仕事の話をすると眼を爛々と輝かせ、繁盛店になってきている事を報告してくれた。




(左の伊藤誠ラグビー協会でレフリーの仕事を頑張っている。みんなから『下』の愛称で慕われている。右の細川は秋工時代ハードタックラーのフランカーだった。小さな身体で大きな相手を倒していた。
花園での敗戦時の彼の号泣は忘れられない。今は東京ガスで立派な社会人として頑張っている)



(秋山哲也、根津谷、彼等は県のラグビー協会でレフリーの仕事をし、また男鹿地区で小中学校ラグビーを指導している。
秋田のラグビーはこの小中学校ラグビー指導者達の存在無しに秋田県ラグビーは存在しないのだ。毎年、優秀な人材を育ててくれている。
口の悪い連中は『好きだからやっているんだベ〜』という。とんでもない。秋田のラグビーに対する思いが誰よりも強いのだ。これからも頑張ってくれ!心の中で敬意を表しているよ!)




(左の田口公太と沖縄出身の可愛い奥様、秋工時代はプロップとして活躍、プロップは秋工の看板だ!)




(根津谷と児玉、予約ありがとう!児玉は井川中学校から相撲出身で鳴り物入りで入部してきた。入学時に耳は既につぶれていた。現役時代はセカンドローとして頑張った。心根の優しい男である)



(秋山公二と秋山哲也と加藤新、加藤は北中出身で加藤兄弟の2番目、安田亮組のスタンドオフ黄金バックスの起点として頑張った。





伊藤誠、完全に出来上がっている)



(安田亮キャップテン、後輩の細川の頬にチュ?頭に噛み付いてるのかな?ノーザンで38歳まで現役を続けた鉄人)





(田口夫妻の結婚に秋工ラグビー部歌のエールを送った。ラグビー仲間は暖かい。2次会に散る。気がついたらオジさんも参加していた。)
ラグビー仲間が醸し出す空気に乾杯!