食当料理


自慢のノーサイドカレー

最近の新メニュー“じゃがいも”


学生の頃、新人が合宿所で食事の準備をした。食当と呼ばれた。
交替交替で行うのだ!
その合宿所での食当経験がこのノーサイドで生きているのだ。


その時の合宿所は秋田出身の先輩に3年生、佐藤鉄三郎氏(写真左)、内藤徳男氏(写真右)、2年に熊谷俊一氏、高橋敏夫氏がいた。
お世話になった。御礼を兼ねてご本人達に無許可で紹介させて頂く、、、。


◯佐藤鉄三郎氏はサバの味噌煮が好きだった。サバの味噌煮があれば機嫌がよかった。この人程負けん気の強さを持った人は他に見た事がない。高校、大学、社会人と日本一を経験した。全日本の一員としてNZにも遠征した。僕の為の深夜までの練習は忘れられない。
いろんなご苦労があったと思うが、大手企業の本社の重役まで登り詰めた。

負けん気、集中力、根気、どれをとっても一流だった、、、。


◯内藤徳男氏はサッポロ一番味噌ラーメン卵とじが好物だった。よく作った。今でも作る時がある。
ラック(ルーズ)の内藤とも言われ、プレーの激しさは凄まじいものがあった。
指導者としても花園に4度秋工を破って出場した、、、。人間の優しさと大きさと負けん気が全国レベルのチームを作った。
行動は衝動的だが、思考はきわめて論理的だ!

隙だらけの日常が徳先輩の魅力でもある、、、。


◯熊谷俊一氏、賭け事が強く風呂代をかけてけん玉、ポーカー、花札、、、でことごとく負けた、、、。仕送りは熊谷先輩の風呂代に消えていたのかもしれない。
プレーも職人はだしだった。全ての技術をマスターしていた。コーナーに上げるパントは絶妙だった。
佐藤鉄三郎氏に言われ、僕の練習に付き合わせられていた。

“お前のおかげで俺は遊びにいけない”といつもぼやいていた。


◯高橋敏夫氏、後にマツダの監督をした。強気なプレーヤーで研究心の旺盛だった。
いつも深夜までラグビー談義をした。精神的にもタフだった、、、。
この時のラグビー談義がその後の指導に役立った。
ハーフ団としてペアを組ませていただいた。
サイドの突破コースは独特のものがあった。
ニュージーランド学生選抜との雪中の一戦にも出場した。

現在、広島に在住している。


人生、沢山の方々にお世話になったがこの4人の優秀(よいっしょ)な同郷の先輩には特にお世話になった。この方々はいなかったらこんなに楽しいラグビー人生を味わえなかっただろう!

掲載した料理を作れるようになったのも先輩達のおかげかも?

生意気な後輩を面倒みて下さった先輩方に心から感謝してます、、、。
数々の失礼、心からお詫び申し上げます、、、。
本当です。???