佐藤鉄三郎氏がさきがけに掲載


(深夜まで呑んでも朝の散歩は欠かさない!千秋公園
秋工、法政時代の2年先輩で、僕の恩人でもある。


この方がいなかった僕のラグビー生活も大きく変わっていただろう。
先輩は高校、大学と1年から全てレギュラーで通した。
当時、秋工も法政も日本一の常連だった。


秋工とこの先輩に恥をかかせてはいけない!と僕も必死だった。
練習が終わるといつも深夜だった。
僕を何とか一人前にしようとグランドでは罵声が鳴り響いていた。


あの練習を今の現役にさせたら間違いなく脱走するだろう。
他校から来た連中に『大変だな!』と同情されていた事を思い出す。
師弟関係は有名だった!


僕が2年の時の秩父宮でのデビュー戦で一緒に試合に出た時を思い出す。


また、先輩が入社した日本一のリコーと法政の試合で勝たせて頂いた。
鬼の形相で当たって来られた事もいい思い出だ。


お陰で沢山の思い出を残す事が出来た。


僕の目標だった日本一を一歩手前で達成出来なかったが、努力した事には悔いは無い。


佐藤先輩の同期であり、ライバルでもあった内藤徳男氏とのコンビも絶妙だった。
今でも秋田に帰ると深夜まで飲み明かし3人で雑魚寝をする。
週に一度は電話が入る。


リコーに勤めた後も出世街道まっしぐら、本社の常務まで勤めた。
こんな負けず嫌いの人は見た事が無い。負ける事は死を意味するような人だった。



頸椎損傷で選手生命が終わったと言われてからまた現役に復帰して来た。





正に名前通りの『根性の鉄人』だった。