久々に後輩、斉藤範男と!(再掲載 2009.5.12)

先週の土曜日、散歩がてら秋田駅近くの千秋公園に寄ってみた。
ツツジが咲き乱れ、沢山のカメラを持っている中高年の方々がシャッターを切っていた。

坂をのぼりきるとそこには青い帽子をかぶったボランティアの方々が身体の不自由な方々へ様々なイベントを行っていた。
それを一人でソフトクリームを頬張りながらのんびりと眺めていた。(実際は2個)

久々にのんびりとした長閑な時間が過ぎて行った。

暖かな善意が千秋公園に溢れていた。



そこにJRのミニ機関車が走り、若い人達に運転の指導している男がいた。
そう、秋工ラグビー部時代2年後輩の斉藤範男だったのだ。
彼は2年の時、国体と全国大会優勝、3年の時には国体優勝そして全国大会は2連覇確実と評されていたが残念ながら敗れてしまった。
僕はこの敗戦を秩父宮ラグビー場の場内アナウンスで聞いた。何かの間違いでは、、、と感じた。しかしそれは事実であった。


斉藤の素質は素晴らしかった。相手デフェンスを切り裂くようなアタック、激しい闘争心、接点の強さ。
彼が卒業した翌年、高校ジャパンが協会で編成した。もう一年早かったら間違いなく選ばれていた選手であった。

彼を法政に来いと誘ったがJRに就職した。


彼を語る時に忘れてはならない方がいる。
彼は僕と同じポジションで毎日遅くまで当時の石井コーチ(秋工→早稲田)に鍛えられた。
練習終了後、高熱を上げ病院に運ばれた事もあった。
斉藤と僕にとって石井コーチは優しい顔をした鬼であった。
精神面もプレー技術も身体に染み込むまでとことん鍛えられた。
石井さんは早稲田が日本一の時のスタンドオフ、全ての指導に論拠があり、我々にとって恩人である。



僕の顔を見て『後数年で退職なんで今若い人達に教えてんですよ〜』と40年前と同じ人懐っこい顔で話しかけて来た。


40年前の苦しい練習が蘇る。いつか石井さんを交えて一杯やりたいな!