恩師佐藤忠男先生の墓参り

私の高校時代のラグビー部の恩師佐忠先生の墓参りに行って来た。
平成18年10月26日(木)午前11時38分に永眠された。早いもので3年の月日が経つ。
場所は秋田市新屋の中専寺だ。
私の本家のお墓の近くに先生は眠っている。


高校時代、先生の納得するプレーが出来ない私は毎日のようにグランドで愛情溢れるゲンコツを頂いた。
基礎体力が無かった僕は思い通りのプレーが出来ず、また怪我のオンパレードであった。
入学時は50人近い新入部員の中で小さい方から数番目だった。
身長が伸びている間はなかなか筋力がつかない。
2年の夏合宿からフルバックのポジションをもらったが、あまりチームに貢献してなかったような気がする。
能力があってのポジション獲得ではなく、他の部員の退部が相次ぎ、少々キック力があったので先生が仕方がなく試合に使ってくれたのだと思う。


あのキツい妥協のない練習は多くの名選手を輩出したが挫折者も多かった。先生が全国制覇回数は7回であり、国体も合わせると確か13回を数える。


日本一厳しい練習から生まれた全国制覇7回であった。(秋工は15回全国制覇)


当時、大学で日本一練習が厳しいと言われた法政に入ったがあの秋工時代の3年間から比べれば大したキツさではなかった。


先生がグランドに立たれている時間は一切息抜きの出来ない緊張が漂う雰囲気であった。
今もってラグビーで楽しい人生を謳歌出来ているのは先生のお陰と感謝している。



来週から始まる花園予選、天国から心配そうな顔をして応援されている事と思う。


『精根尽くして颯爽たり』の著者でもある。