鉄三郎先輩帰省


(この写真は5年程前川反蘇州で、、、。)
朝、内藤徳男先輩から『鉄が葬式で帰省しているから夕方開けておいて!』と連絡が入った。
夕方、5時『花と鳥と風と月』に集まった。
友人の藤田さんも参加してくれた。


話は直ぐに法政の現役時代の話になる。
鉄三郎先輩は秋工時代に1年からポジションを獲り、三年時に主将、法政でも1年からレギュラーで4年時には主将、そして当時ナンバーワンチームだったリコーに入社、全日本のプレーヤーとしても活躍した。ラグビーだけではなかった。職場でもリコー本社の常務まで登り詰めた。

のんびり型の僕から見れば異常な負けず嫌いの先輩だった。



内藤先輩はご存知の通り高校の指導者として新興の男鹿工業を4度強い秋工を破り全国大会に出場した。
そして、高校ジャパンの副団長として海外遠征も経験した。高校ラグビーの指導者として人生を捧げた。(この言い方は変だ。本人は未だ健在)そして沢山の人材を輩出した。


僕にとっては誇れる先輩達であった。


この三人の組み合せが面白い。内藤先輩と鉄三郎先輩はいつも同じポジションで競っていた。そしてお互いに認め合っていた。


この2人は僕の2級先輩である。優しい2人であったが、僕に対する接し方が違っていた。


その頃の法政は優勝、準優勝を繰り返し黄金期と言われていた。
鉄三郎先輩にはグランドで深夜までトコトン鍛えられた。この人がいなかったらレギュラーポジションを得る事が出来なかったかもしれない。



その鍛えられた夜、内藤先輩は僕の部屋に来てニコニコ笑いながら『脱走するんじゃないよ。大丈夫か?』と声を掛けてくれるのだ。



優しさの表現が異なっていた。


この2人の先輩に恥をかかしたらいけないという思いがいつも心の中にあった。
素質の無い僕は個人練習で一番最後までグランドにいる事を心がけた。そしてプレー向上の為に練習日記を書き続けた。


当時、同期が30人程入部したが卒業時には7人しかいなかった。今、思い出せばあの厳しさの中でよく耐えれたと思う。
このお2人がいなかったら、ラグビーの楽しさを知らずに終わってしまったかもしれない。


あれから40年、いつも先輩に対し反抗的な態度を反省している。
本当は心から感謝しているんですよ〜〜〜???


年に2〜3回程会っているがこんな楽しい酒は無い。学生時代そのままだ!