懐かしい顔3(村山修二)



秋田駅


村山修二という後輩の携帯に電話を入れた。
前日富山から来て(明治大学の秋田大会)我が愚息の店“花鳥風月”で15人程で宴会をしてくれた。
私も東京で恩師の告別式に出席し、飛行機で帰って来たばっかりであった。
当然富山に帰っているもんだと思い電話したが何と秋田の土崎で友人と一杯やっていた、、、。
僕の声を聞くなり“タクシーですぐ飛んで来て”と偉大な先輩に命令をする。(秋工ラグビー部の2年後輩である)
寛大で腰の軽い僕は30秒後にタクシーに乗っていた。
その店の雰囲気を村山修二が仕切っていた、。、。相変わらずだ!
サバの刺身が出て来た。“旨かった”もう一皿食べたかったのだがこの後輩気が利かない、、、。

22時30分の日本海に乗って富山に帰ると言う、、、。;
気がついたら駅のホームにいた。二人でワンカップで乾杯し別れを惜しんだ!
修二はいい先輩(勿論、僕の事)に恵まれ幸せだ???

現在、黒部市に招聘され黒部市の観光振興のマネージャーとして現在活躍している。
富山新聞にヒゲを囃した修二の顔が大きく出ていた。彼が頑張っている記事を見てとてつもなく嬉しくなった。

今でも土崎の祭りでは帰省しハッピに身をまとい山を引っ張っている。
明るい楽しい男だ!

修二、、、近いうち黒部に行くぞ!
宇奈月温泉楽しみにしているぞ!
完璧な接待期待しているぞ!


ココで村山修二のプロフィールを紹介する。
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父、祐太郎、、、、我が秋工の元OB会長、、、あのラグビー部部歌のトララ秋工、トララ秋工♪♪♪は修二の父祐太郎氏が慶応大学との話し合いをし秋工の部歌にしたのだ!
また、結婚式の帰りにモーニング姿で練習を見に来てセービングのしかたが悪いと言って泥んこのグランドに飛び込んだ人だ!

全国大会決勝戦の前夜どうしても秋田に帰らなければならない用事が出来、当時宿泊していた三国荘の玄関で試合の内容が悪いと言って涙ながら学生に激を飛ばし日本海で秋田に帰っていった逸話など、、、。

そして私が高校時代県予選で抽選負けし、傷心の身で秋田駅から後輩達に見送られながら法政に出発した。
その時に秋田駅のホームに祐太郎氏が見送りにきてくれていたのだ!
OB会長が一プレーヤーを見送ってくれるなんて事は考えられない事だ。

言葉を交わさなかったが遠くから“頑張れよ!”と見送ってくれた。

キツい合宿所生活、 30人程入った同期が7人しか残らなかった。
正直、俺もココで止めたらどんなに楽だろうと不謹慎に考えたこともある。
その時にいつも思い出したのが秋田駅のホームで見送ってくれた村山祐太郎大先輩の暖かい眼差しだった。
今、こうしてラグビーの仲間と楽しい時を共有出来ているのは修二の親父さんのお陰だ!

親父さんが亡くなったとき枕元で修二と一杯やった。ボロボロ流した修二の涙が忘れられない。

なんか親父さんのプロフィールになってきた。修二の事はどうでもいいのではない。

その偉大な祐太郎氏の息子なのである。秋工ラグビーサラブレッドなのだ!
そして修二は明治に進学、スタンドオフとして活躍、その後広告代理店の博報堂に就職、、、現在、博報堂から出向し黒部市の観光振興のマネージャーとして現在活躍している。
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本文よりプロフィールが長くなった事をお詫び申し上げます。