恩師、石井徳昌氏の訃報


卒業と同時に監督に就任し、法政大学ラクビー部の黄金時代を築いた。
法政大監督退任後、韓国のナショナルチームのコーチ、延世大学の監督をされていた。
関東大学ラグビーが対抗戦とリーグ戦に別れた時の中心的役割を果たした方である。
早法時代と言われ、早稲田を破る事に執着した。
“優等生早稲田”“野武士法政”と新聞紙上に形容され、徹底した展開ラグビーを作り上げた。
監督自ら深夜まで練習し、徹底して走り込む菅平夏合宿のランパスは当時の菅平名物だった、、、。

足の痙攣は練習不足の結果だ!と言って、次の試合には使ってくれなかった、、、。
私も終盤になると足がツル事がよくあったが、打撲のような格好をしてごまかした。

“周りの選手を如何にうまく使えるか?”“そして如何に周りから旨く使ってもらえるか?”
これが選手の価値だ!
口癖だった。
この言葉が未だに耳から離れない、、、。

下手だった僕を何度も使ってくれた、、。
他にも沢山の優秀な選手がいたのに、、、。

下級生の頃、ミスする度にラストチャンスだぞ!(笑)と言われていた。
多分、遅くまで練習していた僕に結果を出させたかったのかもしれない、、。

晩年、菅平でお会いした時、僕が学生の頃どんなプレーをしたかをまだ覚えていてくれた。
嬉しかった、、、。

激情型だったが、指導方法は非常に論理的だった。

40年近く経った今でもあのキツい練習の夢を見る、、、。目が覚めてホットする時がある。

若かりし頃の石井さん


石井さんの想いでの品々が陳列された。

我が家にあった石井さんと一緒の一枚の写真、明治戦のハーフタイム

教え子が全国から集まった。40年前秩父宮で石井ラグビーを実践した戦士達だ!
前列左から内藤元男鹿工業監督、森田氏(45年卒)顔半分の方が桂口力氏(43年卒元ジャパン)
後列左から西条(神戸製鋼)武村元監督、私の同期で元ジャパンのS・O井口、谷崎(東福岡監督)川内鉄心(東福岡コーチ)
その後ろに元ジャパンのフランカー石田氏、私の部屋子だった小林幸彦(大手保険会社役員)などの顔が見える。
石井さんに罵倒されながら鍛えられ、優勝を重ねた多くのメンバーが集まった、、、。

石井さんを偲んで銀座のふぐやいとう(OBトラさんの店)我々の世代が集まり献杯した。
左から佐藤鉄三郎氏(秋工出身元ジャパン)隣が内藤氏

幹事長の練習好きの中村等氏とOB会長の鈴木達朗氏(秀丸先生の次男、元監督の武村氏の弟、先生にそっくり)

武村秀夫氏が今回来れなかった仲間に電話をしている。
手前左が永峰先輩(初優勝時のフルバック)右の方はいつも山梨から駆けつけてくれる我々セレコン委員会の羽中田先輩

左から目黒高校OB会長の戸川氏、私、幡鎌目黒高校監督、いつまでも若い掘先輩(建設業社長)井口(栗田工業)、岡本(明治生命元監督)

左は同期で後に本田技研の監督をした吉田茂ちゃん。

井口、森田氏、鈴木氏、内藤氏

四谷の武村元監督(笹寺)に皆で雑魚寝、朝、恩師鈴木秀丸先生のお墓に挨拶!
いつもの事だが、鈴木家にまたまたご迷惑をかけた。
いつもの“何だお前達バカヤロー”の先生の声が聞こえて来たような???



初老の二人は秋田に無事着いた、、、。
ご苦労様でした。内藤先輩、、、。

石井さんのご冥福をお祈りします。合掌