山本小鉄、星野勘太郎が乱入(写真の頭に注目)

僕が25歳の時に家業の酒屋を継ぐ為に東京の企業を止めて秋田に帰って来た。
帰ってすぐに母校のグランドで監督のお手伝いを始めた。
その時に入って来た新入生達が山本小鉄星野勘太郎(写真の頭に注目)となってノーサイドに乱入して来たのだ。
同期の那波が秋田に帰って来たので集まったらしい。

花園での準優勝組だ!
大工大との決勝戦はいまだに語り草になっている。
最後のスクラムトライは圧巻だった、、、。
70キロに満たない軽量のプロップ那波、大友、畠山があの大型大工大フォワードを押し切ったのだ。
勿論、スクラムは8人で組むものは解っていてあえてこのプロップだけの名前を出したのだ!
特に那波、大友は小さい。平素の練習の彼らの頑張りが最後のプレーに表れたのだ!秋工フォワードの意地があのスクラムトライを生んだのだ!
全ての秋工関係者の思いがあのスクラムに乗り移ったかのようだった。
このプロップ陣のあのキツい練習に耐えて、耐えて、耐え抜いた彼らの姿を今でも思い出す。
耐え抜いた彼らにご褒美として神様も一緒に後ろから押してくれたのかもしれない。

3年間で3回の骨折を耐えながら花園のピッチに執念で立った鎌田明、なかなか出来る事ではない。考えのしっかりした選手だった。
菅原一人、小玉喜久男(浅井)のちびっ子ハーフ団、彼らをよく絞った。
余程キツかったのだろう、時折見せる反抗的な彼らの視線を思い出す。
その話になるとやはり佐藤金幹が出てくる。フォワードの要となって頑張った。美人奥方同伴だ!
今、息子が母校のグランドで頑張っている。
不器用だったが、ヤレ!と言われるといつまでも練習している佐々木徹
その努力が花を開き東西対抗メンバーにも選ばれた。そしてメモリアルトライを量産した。今、秋田県の小中学校の指導者として秋田のラグビーを支えている。

松橋主将の人間的魅力もこのチームを大きく成長させた、、、。

細くて小さかった清水3年間頑張り抜いた。失礼な言い方だが続くとは思わなかった。それくらいひ弱だった。彼はレギュラーポジションは獲れなかったが、あの練習に耐え抜いた3年間は価値ある大きな勲章だったと思う。僕にとって彼は尊敬に値する存在だった。

真面目な本間っち、怪我が多かった出町、人気者の鐙、最近逢ったが太って誰だか解らなかった、堅いプレーヤーの高藤、器用なFBで大学で大きく成長した長谷川、頑張りやだった大門、そして病気と闘いながらやり通した鎌田望、、。彼らには鍛えられた人間達が醸し出す雰囲気と逞しさがあった。

先日は来店してくれてありがとう!楽しかった、、、。
また、飲ろう!