宛先のない安っさんへの手紙(再掲載)初回掲載は2009年

(安っさんは法政で1学年上のキャップテンだった。7年前の正月久留米で交通事故でなくなった。翌日、九州に飛んだ!仲間が全国から集まっていた。納棺の時、仲間が全員号泣した。
とてつもなく悲しかった。去年、七回忌を行った。安っさんが行きつけの店をお兄さんと巡った。側にいるような気がした。
そこでも涙があふれた。
隣にいた同期の森も『お前が泣くからだよ!』と言って泣いていた。


無くなった時に書いた安っさんへの手紙をまた掲載した。


僕にとっても大事な手紙だ。このブログを見ている仲間に安っさんを思い出してもらうとともに天国にいる安っさんに届く事を願って再度ココに掲載した。)
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安っさん、最近携帯に電話が入りませんね。どうしたんですか?18歳で安っさんと知り合い、今まで、こんなに長い間、話が出来なかった事はないですよ?


安っさんは人生の中で、僕に一番笑いを提供してくれた方です。そして励ましも。


学生の頃、合宿所で毎晩、僕の部屋を訪ねてきてくれ、横になると速そうに見えない、毛深い足を高く上げ、自分自身の太ももを叩きながら、足の筋肉を自慢してましたね。そして必ず、“この足が速けりゃな〜”といつもつぶやいていましたね。その格好はまるでシンクロ?の選手のようでした。



僕が3年の時、練習ゲームでミスをし、交代させられ時に“なんだ情けないその面は”と言って沈んでいる僕を一杯飲みに連れて行ってくれましたね。忘れられない想い出の一つです。



東華楼のカレーもよく二人で食べに行きましたね。味は?のカレーだったけど、価格とボリュームが魅力でしたね。お互いの仕送りを当てにして貧乏生活してた頃ですね。



安っさんは我々後輩に対しても絶対に暴言を吐く事は無い方でしたね。我々の人格を認め、言葉を選びながら話をしてくれてましたね。その会話も面倒になるといつも“よか、よか、大きな気持ちで”と締めくくっていましたね。


森と僕を本当に可愛がってくれましたね。側に置いておくと、優越感を感じる事が出来たんでしょうね。少なくても森に対しては。



恩師、間庭先生の創業された国体警備保障、登戸のボーリング場での勤務、休憩している安っさんに“交代です”と言うと、お前の時計30分早いよ!と、逆に、僕が寝ている時に、“お前の時計遅いんじゃないの、起床!”と起こし来ましたね。僕と森は面と向かって抗議出来ないもんだから、陰でブツブツ言ってたんですよ。どうせ言ったって“よか、よか、大きな気持ちで”で終わりですからね。



保善高校の体育教官室や保健室に酒飲んでは一緒に泊まりましたね。守衛さんに無理なお願いをして。



良家の坊ちゃんとして育った僕は安っさんや青木さん、等さんからいろんな免疫をいただきました。



日大ラグビー部で金を出していた青木さんのアパートに潜り込んで生活した3ヶ月は忘れられませんね。お金が無く、毎日インスタントラーメン。ある時、安っさんのパンツを洗濯していたら、パンツのお尻のところにラーメン(サッポロ一番)の細かいネギがくっついていたんですよね、(ちょっと汚い話)覚えてますか?“良く発見した”と誉めてくれましたよね。グリーンのタータンチェックのパンツでした。ネギが保護色になっていて見つけるのが大変だったんですよ。僕の大きな眼が役に立ったんですね。安っさんが洗濯の喜びを僕に教えてくれました。誉め上手でしたね。スーパーでネギを見る度に想いだし、吹き出します。



今、考えればあの松美荘は難民キャンプみたいなところでしたね。入れ替わり立ち代わり、朝になると知らない人が寝てたりして。テロリストのような人もいましたね。ビンラディンを育てたところかも。
青木さんの料理は絶妙でしたね。ちっちゃな台所で作った麻婆豆腐は忘れられません。まだ約束の石狩鍋は口に入ってませんが。



そうそう、安っさんが4年のキャップテンの時の学生選手権の準決勝で日体に敗れた夜、真っ暗なグランドのポールの下で1人泣いていましたね。
キャップテンとして辛かったと思います。無念さとまた重圧から解放された複雑な思いがあったと思います。1月3日の夜です。雪が降ったんですよね。その情景を今でも想いだします。
最近までその話を僕がするとアダモの『雪が降る♪あなたは来ない♪』と一小節をいつも歌いましたね!あの敗戦は安っさんの人生にとって大きなショックであったと思います。



日大戦の時の青木さんとの試合前のトス、親友同士が敵味方に分かれキャップテンとして戦った事も瞼に焼き付いてます。
青木さんの110ヤードの独走の時ですよね。
この話をすると青木さんが喜んでくれるんですよね!
あの人への恩返しはこの話をする事と思っているんですよ!周りに聞こえるように。



そうそう、釜石戦に負けたとき、あれは僕の出来が悪くて、最後、問い面に外を振られて負けたゲーム、責任を感じましたよ!合宿所でも居場所が無かった事覚えてますよ!安っさんに申し訳なくて!
翌日の練習で安っさんの頭のGIカットの前髪が無くて、これはまずいと思い、練習後、グランド脇の床屋へ飛び込んで、僕も五分刈りして来ましたよ。覚えてますか?その時は責任感じてたんですよ!まあ、すぐ忘れましたけどね。



安っさん、先日安っさんの墓参りに行ってきましたよ。秀さんがお経を読んでくれましたよ。聞こえてたでしょ。



法政も秀さんが監督に復帰し。立て直しに頑張ってくれてます。
天国にスカパーあるのかな?
結果は森からの報告待っていて下さいね!




豊田さんとの絶妙な会話も聞けなくなりましたね!横文字の話になると“陸ちゃん、食った事あるか?、ね〜な〜!”何でも食い物の話になっていましたね。



若気の至りで、青木先生と3人で山手線沿線を○○行脚した事もありましたね。立派に教師をしている人もいるから深くは書きませんがね。



しつこいですけど、良家の坊ちゃんだったうぶな僕は大人にしてもらいましたね。その点、森清美ちゃんは最初から大人でしたね。老けてた〜〜〜〜。




自分も天国に行ったら真っ先に安っさんを捜しますよ。隠れないでくださいね。それまで辛抱しておいて下さい。隠れたってすぐ見つけますよ!何故だか解るでしょ!特徴があるから、、、。
この先は後輩が言っちゃいけないですよね。




安っさん、でかい看板立てて天国で待っていてくださいね!“祝、歓迎ワタナベ”と書いてね。そして、朝、皆で安っさんの好きな散歩しましょう。日大や中央や早稲田のOBと連絡とって試合をしましょう。当然、その頃は日野さんもいるでしょう。




等さん、清美ちゃん、茂ちゃん、八ちゃん、井口っつあん、塩野君、太田尾さんや第ちゃん、内藤さんも達ちゃんも、恩田さんも、四国の佐々木さんや大西さんも騙して連れて行きますよ!試合があると言うとすぐ行きますよ!アタックしかしないですけどね!勿論、いつものとうり、仕切るのは等さんでしょう。天国へ行ってもOB会幹事長の席は等さんに開けておいて下さい。




いつになるか解らないけど、皆でまた逢いましょう。天国で、間庭塾を開きましょう。宅急便で届くなら、きりたんぽ送ります。住所が決まったら携帯で教えて下さいね!谷口も去年の暮れにそちらに行きましたよ。きっと法政ラグビーの話に花を咲かせているんでしょうね。




なんか泣きたくなってきたね。安っさ〜ん、逢いたいよ〜!一緒に笑いたいよ〜!一緒に飲みたいよ〜!




それではいつの日かお会い出来る時を楽しみに!
                     
                    迷惑かけっぱなしの後輩より