旅 15日目 知覧

絶対に忘れてはならない戦争体験という事実がある!


極限を超えた多くの悲しみと極限を超えた不幸、そして極限を超えた苦しみ、
我々はもしかしてこんな大事な事を忘れ去ろうとしているのかもしれない!




『おばちゃん、死んだら、またおばちゃんのところに蛍になって帰って来る!』

昭和20年6月、出撃の前夜、特攻隊員の宮川軍曹は鳥浜トメさんにこう言い残し
て鹿児島県知覧基地から出撃していった。ところがその夜、トメさんの家に、
本当に一匹のホタルが入ってきたのである。



●旧陸軍特攻基地
「戦闘指揮所」跡 碑文


最後の盃を交わした隊員は機上の人

となり、かんじとして手を打ち振り

つつ今生の別れを告げる。

女学生や村人達は花もちぎれよとば

かり桜の小枝を打ち振る

機影を追いながら・・・・・・・・

やがて南の空を凝視している。

皆泣きはらした眼で見つめている。

嗚咽がもれていた。

とうとう一人が わっと泣きだすと

堰を切ったように皆も泣きだした。

幾度か繰り返された

決別の光景であった。
            知覧町


少年兵17歳から20歳くらいの年齢の

子供達が日本の為、家族の為と、戦争

が少しでも優位になり講和が優位に進

むようにと沖縄の海に散って行ったの

です。平和記念館の中もお客様の嗚咽

とすすり泣きの声が後を絶ちませんで

した。

特攻で逝った人、それを見送った家族

や仲間どんな気持ちで逝ったのか?

この悲しみは日本人として絶対に忘れ

てはならない事です。


沖縄の海に散った若い特攻隊員に改めて

哀悼の意を捧げます。