生んではならぬ絶望感

毎年、今頃になると過去の戦争の反省や戦争の罪がアチラコチラで議論される。また今年は東日本の被災が連日報道されている。
絶望感を体験された多くの体験が紹介されている。



僕は幸いな事に絶望感を味わった事が無い。物事に楽観的に考える脳回線に出来上がっているようだ。


60年もの間生きているといろんな事がある。常に家族や仲間に支えられてきた。神様が導いてくれている事に感謝している。


昨日、沖縄戦の日本軍と米軍に別れて戦った兄弟の実話が放映されていた。戦後に生まれた我々と体験レベルがあまりにも違いすぎる。大きな渦の中で翻弄されていた人々。あまりにも悲しい。
どれだけの多くの人間がこの絶望感の中で家族を失い、仲間を失い、夢や希望を失っていっただろうか。そして生きる権利さえも奪われて行ったのである。


政治家が絶望感を与えてきた沢山の人間社会の歴史がある。価値ある人間とは夢と希望と笑いを与え続けられる人の称号なのかもしれない。


今社会を変えるなんて事は僕には出来ないが、言葉を大切にする事で絶望感を感じている身近の人達を励ます事は出来るかもしれない。

絶望感と言う言葉を痛切に感じた夏だった。