セレコン引退

法政大学ラグビー部のセレコン委員を今季限りで辞退すると幹事会に連絡をした。
後任は伊藤昌夫君に勤めてもらう事にした。
25年前にOB会で選手発掘の為の組織を立ち上げたのだ。
僕が35歳の時、東北担当を拝命した。
再度、法政を日本一にしようと言う熱い思いで作った組織だった。
いつの間にか最初に就任したメンバーで一番の古株になっていた。
25年の間に70名程のメンバーが東北各県から法政を受験し、元住吉のグランド、八王子のグランドとレギュラーになろうと頑張ってくれた。
秋田、青森、岩手、宮城、山形と優秀選手を獲得しようとグランドを通い歩いた。
このセレコン委員会での思い出は尽きない。
入学後の彼等の成長が楽しみだった。
途中でラグビー部を止めたいと言った選手を朝まで説得した事もあった。
電話で大声で怒鳴り散らした事もあった。
菅平で正座させて反省を促した事もあった。
また合宿所で上級生と問題を起こし、秋田に帰って来た選手もいた。
学生選手権で早稲田を倒し、優勝した瞬間気がついたら秋山、下間、佐藤、昌夫達と抱き合って喜んだ記憶が甦ってくる。
優秀な選手にはいろんな企業、大学から声がかかる。そんな選手には学校の先生や本人やご両親との繰り返し繰り返し折衝を重ねる。
それぞれ忘れられない思い出である。沢山の思い出があり全部は書き込むにはあまりにも多過ぎる。
いつかゆっくりと法政で頑張ってくれた皆と一杯やりたいものだ。
彼等は今立派な社会人として各方面で頑張っている。